生麦(なまむぎ)事件とは、そもそも生麦村と言う地で起こったことから、この名前が付けられました。
この事件が後に薩英戦争へと発展し、幕末に影響を与えたことは間違いありません。
そこで今回は、生麦事件について簡単に解説していきましょう。
薩英戦争の始まり
薩英戦争とは、文久3年(1863年)、薩摩藩とイギリスの間で行われた戦争です。
ここからは、薩英戦争の発端となった生麦事件についてまとめました。
文化の違いがもたらした惨劇
文久2年(1862年)、薩摩藩の島津久光は、公武合体を進めるため江戸に上洛。
その帰り道、武蔵野国橘樹郡(たちばなぐん)生麦村(現在の神奈川県付近)に差しかかります。
同じ頃、イギリス商人とその友人ら4人が騎馬で東海道を東に向かっていました。
そして、久光たち一行と遭遇。
藩士らが「馬を降りて道端に避けろ」とジェスチャーするも、イギリス人4人は意味を理解出来ず直進。
激怒した薩摩藩士が、イギリス人を斬りつけ、その内の一人「チャールズ・リチャードソン」が死亡。
他のイギリス3人も怪我を負いました。
イギリスは薩摩に対して損害賠償を請求しますが、薩摩が拒否したことで、後に薩英戦争が勃発します。
倒幕に方針を変えた薩摩藩
文久3年(1863年)、生麦事件の報復のためイギリス軍艦は薩摩に攻撃を仕掛けました。
薩英戦争が始まり、イギリス軍の大砲に薩摩は甚大な被害を受けます。
結果は薩摩藩の大敗。この戦争で外国の強さを痛感した薩摩藩は、方針を変え倒幕を目指し動き出します。