and more...

【3】645年に起こった大化の改新!主要人物についてざっくりと解説! 

前回は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)について説明しました。 今回は中大兄皇子と協力し、蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺した、中臣鎌足(なかとみのかまたり)をご紹介します。

前回のあらすじ⇒【2】645年に起こった大化の改新!主要人物についてざっくりと解説!

中大兄皇子とは学友であり、頭脳明晰だったと言われている鎌足。 そして、中大兄皇子と大化の改新を行った中心メンバーでもあります。

では、中臣鎌足とはどのような人物だったのでしょうか。

 

藤原氏の元祖は中臣鎌足!

ここでは、下記の項目についてまとめました。

1.中臣鎌足とはどんな人物?

2.中大兄皇子との出会い

1.中臣鎌足とはどんな人物?

中臣鎌足(後の藤原鎌足)は、614年に生誕。中臣家は、代々神や祖先を司る祭祀(さいし)を務める豪族でした。

鎌足は、幼少の頃より南渕請安(みなみぶちじょうあん※学者)の私塾で儒学や兵法を勉強。ちなみに、中大兄皇子や蘇我入鹿も同じ塾で学んでいたそうです。

中国の史書を丸暗記するほど、当時から秀才と言われていた鎌足。そして、成長した鎌足は、天皇の存在を脅かす蘇我入鹿(そがのいるか)に目を付けます。

2.中大兄王子との出会い

藤原鎌足と中大兄皇子は、蹴鞠(けまり)の会を通じて顔見知りに。皇子が鞠を蹴った際にくつが脱げ、そのくつを拾った鎌足が皇子の元へ馳せ参じます。

その時の皇子の態度は素晴らしいものでした。時期天皇はこの方しかいない・・鎌足は、皇子に蘇我入鹿暗殺を持ちかけます。

意気投合した鎌足と皇子は、後に蘇我入鹿を暗殺。こうして、乙巳の変が起こりました。

藤原姓を与えられる

中大兄王子は、668年第38代天智天皇に即位。中臣鎌足は、内臣(うちつおみ)に任命されました。( ※内臣とは、飛鳥時代から平安時代に置かれた役職)

ところが、落馬して背中を強打した鎌足が病床に伏せてしまいます。見舞いに訪れた天智天皇は、鎌足に、大織冠(たいしょっかん※ 冠位の最上位)と藤原の姓を与えました。

鎌足は、その翌日に56歳で逝去。こうして、中臣鎌足は藤原鎌足となり、、藤原氏は代々続く家柄となっていきます。

-and more...

© 2021 たくあん Powered by AFFINGER5