前回は、渋沢栄一がパリ万博に使節団として派遣されたことについてまとめました。
前回のあらすじ⇨【3】2021年大河ドラマ「青天を衝け」主人公渋沢栄一とはどのような人物?
栄一は2年ぶりに日本へ帰国。政権は徳川幕府から、明治政府へと移行され、徳川慶喜は駿府(現在の静岡県)で謹慎中の身でした。
今回は、帰国した栄一のその後についてまとめていきます。
徳川慶喜から独立して実業家に!
ここでは下記の2項目についてまとめました。
(1)商法会所を設立
(2)大蔵省の官僚となる
(1)商法会所を設立
駿府の徳川慶喜に面会した栄一は、慶喜から独立を勧められます。そして、フランスで学んだ銀行の仕組みを取り入れ、1869年(明治2年)、商法会所を設立。これが日本で初めての株式会社です。
米を売買して、売り上げ利益を得る会社としての側面。または、お茶を栽培する人、養蚕業を営む人などにお金を貸し付ける銀行の役割。
お金の流れを作り、国を活性化させる。栄一は日本を強くしようと邁進していきました。
(2)大蔵省の官僚となる
栄一が、商法会所を設立した同年、栄一の才能に目を付けた、明治政府の大隈重信から声がかかります。
「あなたの力が必要です」・・一度は断りながらも、重信の熱心な説得に民部省(現在の大蔵省)入りを決意した栄一。
そして、様々な通貨が使用されていたお金を円で統一する、新貨条例などに携わりました。
めきめきと頭角を表していた栄一でしたが、意見の対立などから、僅か2年ほどで大蔵省を去ることとなります。
才能を開花させた渋沢栄一
大政奉還(政権を天皇に返上すること)で、徳川幕府はなくなり、明治政府へと移行した日本。
徳川慶喜から独立した栄一は、日本を変えようと様々な取り組みを行なっていきました。
大蔵省退職後は、実業家となり、様々な事業を立ち上げていきます。
次回は、実業家としての渋沢栄一について紹介していきましょう。