多くの観光客で賑わう東大寺の大仏。752年、奈良の平城京に、第45代聖武天皇の命により建立されました。
「おなご(752)に似てる優しい大仏」そんな語呂合わせも耳にします。 今回は、東大寺の大仏が建てられた経緯について、簡単にご紹介しましょう。
日本は多くの災難に見舞われていた!
ここでは、下記の2項目についてまとめました。
(1)天然痘が大流行
(2)貴族同士の争いが頻繁に起きる
(1)天然痘が大流行
聖武天皇が即位していた時代は、地震や干ばつなどの被害が相次いでいました。米が育たず、飢餓に苦しむ人々が大勢いたのです。
更に天然痘(感染症)が大流行。しかもこの時代は、特効薬がありません。天然痘はたくさんの人々の命を奪っていきました。
聖武天皇の息子も僅か1歳で亡くなってしまいます。
(2)豪族同士の争いが頻繁に起きる
天災に加え、聖武天皇に仕えていた橘諸兄(たちばなもろえ)に不満を持った藤原氏が反乱を起こすなど、豪族同士の争いが激化(藤原広嗣ふじわらひろつぐの乱)。
災い続きに悩んだ聖武天皇は、今住んでいる平城京から遷都(都を移す事)することを決意しました。
恭仁京(くにきょう・現在の京都府木津川市)、難波宮(現在の大阪市)、紫香楽宮(しがらきのみや・現在の滋賀県甲賀市)と次々に都を移します。
しかし、どの都に行っても長くは続きません。結局は、元の平城京に戻ることになりました。
仏様にすがる!
聖武天皇の力を持ってしても、世の中を変えることは出来ませんでした。こうなったら、仏にすがるしか道はない。
平城京に大仏を造ろう!こうして、当時信頼の厚かった僧侶、行基(ぎょうき)の協力のもと752年、東大寺の大仏が完成したのです。