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細川ガラシャはなぜキリシタンになったのか?本能寺の変が運命を変えた!

細川ガラシャは明智光秀の三女として、1563年(永禄8年)、越前国(現在の福井県)に生まれました。

ガラシャとは洗礼名であり、本名はたまと言います。

この記事では、ガラシャがキリシタンになった経緯について簡単に説明していきましょう。

ガラシャがキリシタンに惹かれ始めた経緯

ここでは、その経緯を3つに分けて解説していきます。

本能寺の変が起こる
細川家に戻ったガラシャ
キリスト教に惹かれ始める!

⒈本能寺の変が起こる

1582年(天正10年)、明智光秀が謀反を起こし、本能寺の織田信長を襲撃しました。

夫である細川忠興は、謀反人の娘となったガラシャを守るために味土野(現在の京都府京丹後市)の山奥に幽閉します。

⒉細川家に戻ったガラシャ

2年後、豊臣秀吉のはからいで細川家に戻ったガラシャ。

しかし、その間忠興は側室との間に子供をもうけ、周囲は一変していました。

忠興は愛ゆえにガラシャを監視するようになり、自由に外出も出来なくなったガラシャは心を閉ざすようになります。

⒊キリスト教に惹かれ始める!

そんなガラシャを心配し、忠興はキリスト教の話を聞かせるようになります。

忠興の友人、高山右近が熱心なキリシタンであり、忠興も多少の興味があったのかもしれません。
細川忠興と妻の細川ガラシャ。忠興は短気で、「天下一気が短い武将」として有名です。

そして、妻であるガラシャは、キリストを崇拝し、戦国一の美女と言われました。

政略結婚で結ばれた忠興とガラシャ

細川忠興と細川ガラシャが結婚したのは、家同士の結束を深めるための政略結婚でした。

この時代では当たり前に行われていたことです。

今回は、二部構成で忠興とガラシャにまつわるエピソードを紹介していきましょう。

前半は二人のプロフィールを簡単にまとめていきます。

細川藤孝の嫡男として誕生
明智光秀の三女として誕生

細川藤孝の嫡男として誕生

細川忠興は、1563年(永禄6年)細川藤孝の嫡男として、京都に誕生。

元々将軍家に仕えていた細川家は、第15代将軍、足利義昭が京都から追放されると、織田信長に仕官します。
(*仕官とは、浪人していた武士などが召し抱えられること)

忠興は、信長の嫡男、織田信忠の家臣となり、忠の一字をもらい、「忠興」と名乗るようになりました。

明智光秀の三女として誕生

細川ガラシャは、1563年(永禄6年)明智光秀の三女として越前国(現在の福井県)に誕生。

ガラシャはキリシタンの洗礼名で、本名はたまと言います。

忠興とは1578年(天正6年)15歳の時に結婚。1579年に長女が誕生。
1580年には長男、細川忠隆が生まれました。

1587年(天正15年)、忠興が九州に出兵すると、先に洗礼を受けていた侍女を通じて
秘かに、キリシタンとなります。


お似合いのカップルだった忠興とガラシャ

忠興とガラシャは、15歳の時に結婚。信長が仲介となり、美男美女の二人は、お人形のように可愛いと信長が絶賛したそうです。

同い年で仲が良く、翌年には子供も誕生し、幸せな結婚生活を送っていました。

政略結婚だった忠興とガラシャですが、とても仲が良く幸せな生活を送っていたようです。

今回はプロフィールを軽くご紹介しましたが、次回は忠興&ガラシャの夫婦エピソードをご紹介します!
ガラシャも次第にキリスト教に惹かれ始めていきました。

全ての始まりは父・明知光秀の謀反から

父である明智光秀の謀反により、ガラシャの運命は変わっていきました。

忠興のガラシャを守りたいと言う気持ちが、幽閉や監視と言う歪んだ愛情表現になってしまったのでしょうか。

細川ガラシャ(本名・たま)のキリスト教人生は、忠興がキリスト教の話をしたことがきっかけで始まりました。

今回のお話は、ガラシャがキリスト教の洗礼を受けたところから始まります。

 

細川ガラシャはこうしてキリシタンになった

こちらでは下記の項目をご紹介します。

洗礼を受けキリシタンに(洗礼についても軽く記載)
最期までキリシタンを貫く!

⒋洗礼を受けキリシタンに

1587年(天正15年)、忠興が九州討伐に出陣。

ガラシャは自由に外出が出来ないため、先に洗礼を受けた侍女によりキリシタンの洗礼を受けます。

こうして、キリシタン細川ガラシャが誕生しました。

★洗礼とは★

洗礼とは…キリスト教に入信するために行う儀式の事を指す。洗礼の内容は体に水を浸す・頭部に水をそそぐなど。

⒌最期までキリシタンを貫く!

1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いが始まろうとしていました。

西軍の石田三成は、東軍の大名夫人を人質にとる作戦を決行。

ところが、ガラシャはこれを拒否!侍女や家臣を逃がし、自身は死を選びます。

しかし、キリスト教では自害が禁じられていました。

そして、自らを家臣に殺させることで、キリストの教えを貫いたのです。

こうしてガラシャは、38歳の短い生涯を閉じました。

儚く散った細川ガラシャ

最期までキリシタンとして、死んでいった細川ガラシャ。

戦国一の美女と言われ、謀反人の娘となったガラシャでしたが、忠興も最後まで離縁を拒んだそうです。

周囲に翻弄され続けたガラシャの人生。そんな唯一の心の支えが、キリスト教だったのかもしれません。

また、大河ドラマ「麒麟がくる」では女優の芦田愛菜さんが細川ガラシャを演じることが決定しました。こちらも楽しみですね。

織田信長から、「人形のように可愛い二人」と言われた細川忠興と妻の細川ガラシャ。

まぁ、それは結婚当初15歳の頃・・ しかし、年月が経ち蓋を開けてみると、実際は破天荒な夫婦関係でもあったようです。

今回は、そんな二人にまつわる逸話を紹介していきましょう。

やられたらやり返す!

ここでは、忠興とガラシャのちょっと怖い逸話を二つ取り上げます。

1.血の付いた着物を着続けた
2.首を前に平気で食事

1.血の付いた着物を着続けた

ある日、屋敷で仕事をしていた庭師の視線がガラシャに釘付けに。 忠興は、その庭師が、ガラシャを見ている?と激しく激怒!

そして、何と庭師を手討ちに。 更に、刀に付いた血をガラシャの着ていた着物で拭うと言う異常行動。

すると、それに反発するかのように、その着物を何日も着続けるガラシャ。 さすがの忠興も、ガラシャに着替えるようにお願いしたんだとか。

忠興の行動も異常ですが、ガラシャは何て肝の据わった女性なんでしょうね。

2.首を前に平気で食事

食事中、お椀の中に髪の毛が入っていることに気付いたガラシャ。忠興に見つからないように、こっそりと髪の毛を取ろうとします。

しかし、事すでに遅し。それに気付いた忠興は、何と料理人の首を跳ね、ガラシャの目の前に首をドン。

ところが、ガラシャは一切動じず、平気な顔で食事を続けたのです。

これにはさすがの忠興も、「お前は蛇のような女だな」とガラシャに嫌味をタラタラ。

するとガラシャは、「鬼の女房には蛇のような女がお似合い」と切り返します。

あー言えばこう言う細川ガラシャでした。

やはり似た者同士だった忠興とガラシャ

これまでの逸話を見てみると、かなりやばい夫婦関係に思える忠興とガラシャ。

戦国一の美女と言われ、キリシタンであったガラシャですが、一部では激しい性格だったとも言われています。

しかし、キリスト教を崇拝するようになり、徐々に穏やかになっていったようです。

忠興の異常な行動も、ガラシャが好きすぎて、気持ちを押さえることが出来なかったのかもしれませんね。

それだけ、ガラシャが魅力的な女性だったのでしょう。

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