「天下布武」を掲げ天下統一を目指していた織田信長。
信長の家臣であった明智光秀は、1582年(天正10年)、本能寺にて信長を討ちます。
光秀は、本能寺の変を起こす前に、愛宕神社に参拝し、連歌会を催しました。
そこで、詠まれた光秀の連歌は「愛宕百韻(あたごひゃくいん」と呼ばれています。
今回は、光秀が詠んだ連歌について、考察していきましょう。
愛宕神社で最後の連歌会を催す
ここでは、下記の2項目についてまとめました。
(1)明智光秀が詠んだ連歌とは?
(2)おみくじに気持ちを託す
(1)明智光秀が詠んだ連歌とは?
明智光秀が家臣たちと詠んだ愛宕百韻。 連歌とは、和歌を複数人で詠み繋げていく歌のことです。
光秀は、発句と呼ばれる連歌の始めの【五・七・五】の部分を詠みあげます。
「時は今、あめが下しる五月(さつき)かな」 時→土岐氏(光秀の出身)あめ→天、又は天下、下しる→命令を下す。
土岐氏出身の光秀が天下を取り、命令する。
信長に対する意味が込められていたのかは分かりませんが、家臣の一致団結と、戦勝祈願の思いもあったのでしょう。
(2)おみくじに気持ちを託す
光秀は、本能寺の変を起こす4日前、愛宕神社に参拝。
そこで、おみくじを引いたところ「凶」が続き、何度もおみくじを引き直しています。
これから先の事を考えると、凶は不吉の予感。
当時は光秀に限らず、おみくじなどの結果で、戦い方を決めていた武将も多かったようです。
山崎の戦いで羽柴秀吉に敗北
織田信長から、羽柴秀吉の中国攻めの援軍を言い渡されていた明智光秀。
しかし、光秀が向かった先は、信長のいる「本能寺」でした。
前日の連歌会、愛宕神社の参拝で、光秀もようやく決心したのでしょう。
しかし、信長を討った後に、山崎の戦いで秀吉に敗北。光秀が信長に謀反を起こした理由は、未だに謎とされています。
大河ドラマ「麒麟がくる」もラストまで後数回。この辺りがどのように描かれるのかも楽しみですね。