天正10年(1582年)、本能寺の変で明智光秀の軍勢と戦い、18歳の若さで討死した森蘭丸。
12歳の頃に織田信長の小姓として召し抱えられ、その後は側近として信長に仕えました。
信長は、蘭丸をとても気に入っており、男色関係にあったとも言われています。
今回は、信長と共に本能寺に散った若き武将、森蘭丸について前編と後編に分けて紹介していきましょう。
有能だった森家の兄弟
ここでは、下記の2項目についてまとめました。
(1)森可成(もりよしなり)の三男として誕生
(2) 森蘭丸は、どのような職務をしていたの?
森可成(もりよしなり)の三男として誕生
森蘭丸は、森可成の三男として永禄8年(1565年)に尾張国葉栗郡(現在の愛知県)に誕生。
次男の森長可(もりながよし)は、勇猛な武将として信長からも信頼されていました。
ところが、長可は天正12年(1584年)、小牧長久手の戦いで27歳の若さで戦死。
長男の森可隆(もりよしたか)も、1570年に朝倉攻めで亡くなっています。
父、可成は妻のえいとの間に9人の子供を授かり、蘭丸の弟で、四男の坊丸、五男の 力丸は共に信長の小姓として仕えていました。
森蘭丸はどのような職務をしていたの?
森蘭丸の小姓としての役割は、信長の身の周りの世話、外出のお供、夜の相手など様々。
いざと言う時に主君を守るため、武勇にも優れていなければいけません。
蘭丸はこれらを全て完璧にこなし、信長からの信頼は厚かったようです。
信長の寵愛を受けた森蘭丸
(画像はイメージです)
森蘭丸は、諸大名との連絡役、朱印状の発行など事務的な仕事を的確にこなしました。
幼少の頃より父、可成から武芸や学問を叩き込まれた蘭丸。
真面目で正直者、そして何と言っても、蘭丸と言えば美少年のイメージが強いですよね。
そんな蘭丸を信長は寵愛したそうです。
次回は、信長と蘭丸の逸話などを紹介していきましょう。