織田信長と正室・帰蝶には子供が授かりませんでした。しかし、側室との間に生まれた子供は24人。
嫡男・織田信忠、次男・織田信雄(おだのぶかつ)の母親は生駒吉乃(いこまきつの)。(信忠は諸説あり)
吉乃は、信長が最も愛したとされる女性です。 そして、信長が子供に付けた幼名(ようみょう)が一風変わったネーミングでした。
今回は、そんな幼名について少しご紹介します。
発想が適当な信長のネーミングセンス
ここでは、下記の2項目についてまとめました。
(1)幼名とは?
(2) 嫡男から十一男まで
幼名とは?
まず幼名について説明しましょう。 幼名とは生まれた時につけられ、基本的には元服まで。
元服後は、新たに違う名前を名乗るようになります。
ちなみに信長の幼名は、吉法師(きっぽうし)。
他に、徳川家康の「竹千代」などは有名ですね。
嫡男から十一男まで
では、信長の子供達の幼名をまとめました。
嫡男・信忠(奇妙丸)次男・信雄(茶筅丸ちゃせんまる) 三男・信孝(三七)四男・秀勝(於次丸おつぎまる)
五男・勝長(御坊丸おぼうまる)六男・信秀(大洞おおぼら)七男・信高(小洞こぼら) 八男・信吉(酌しゃく)
九男・信貞(人ひと) 十男・信好(良好りょうこう)十一男・長次(縁えん)
奇抜な幼名の数々
嫡男信忠は、生まれた時に顔が奇妙だったので、奇妙丸。
次男信雄は髪を結えば、茶筅(お茶をたてる道具)に使えそうなので茶筅丸、などなど。
九男の信貞ときたら、人(笑)。
確かに人であるのは間違いありませんが、現代で言うキラキラネームに対抗出来そうなネーミングセンスです。
新しいものが好きな信長ですから、子供の幼名にもこだわりがあったのかもしれませんね。