細川忠興と妻の細川ガラシャ。忠興は短気で、「天下一気が短い武将」として有名です。
そして、妻であるガラシャは、キリストを崇拝し、戦国一の美女と言われました。
政略結婚で結ばれた忠興とガラシャ
細川忠興と細川ガラシャが結婚したのは、家同士の結束を深めるための政略結婚でした。
この時代では当たり前に行われていたことです。
今回は、二部構成で忠興とガラシャにまつわるエピソードを紹介していきましょう。
前半は二人のプロフィールを簡単にまとめていきます。
⒈細川藤孝の嫡男として誕生
⒉明智光秀の三女として誕生
細川藤孝の嫡男として誕生
細川忠興は、1563年(永禄6年)細川藤孝の嫡男として、京都に誕生。
元々将軍家に仕えていた細川家は、第15代将軍、足利義昭が京都から追放されると、織田信長に仕官します。
(*仕官とは、浪人していた武士などが召し抱えられること)
忠興は、信長の嫡男、織田信忠の家臣となり、忠の一字をもらい、「忠興」と名乗るようになりました。
明智光秀の三女として誕生
細川ガラシャは、1563年(永禄6年)明智光秀の三女として越前国(現在の福井県)に誕生。
ガラシャはキリシタンの洗礼名で、本名はたまと言います。
忠興とは1578年(天正6年)15歳の時に結婚。1579年に長女が誕生。
1580年には長男、細川忠隆が生まれました。
1587年(天正15年)、忠興が九州に出兵すると、先に洗礼を受けていた侍女を通じて
秘かに、キリシタンとなります。
お似合いのカップルだった忠興とガラシャ
忠興とガラシャは、15歳の時に結婚。信長が仲介となり、美男美女の二人は、お人形のように可愛いと信長が絶賛したそうです。
同い年で仲が良く、翌年には子供も誕生し、幸せな結婚生活を送っていました。
政略結婚だった忠興とガラシャですが、とても仲が良く幸せな生活を送っていたようです。
今回はプロフィールを軽くご紹介しましたが、次回は忠興&ガラシャの夫婦エピソードをご紹介します!