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(1)戦国時代の残酷な処刑法「蛇責め」とは?加賀の大名・前田利常が嫁の乳母に実行!

世界各国では、遥か昔から様々な処刑方法が実践されてきました。

日本では、磔(はりつけ)や斬首などが一般的に知られています。

しかし、それ以外にもあまり知られていない処刑方法が幾つかありました。

その中の一つに「蛇責め」と言うものがあります。蛇と聞いただけで苦手な方も多いでしょう。

今回は、加賀藩の大名・前田利常が実践したと言われる「蛇責め」について、その経緯を二回に分けてご紹介します。

前田家と徳川家の確執

ここでは、下記の2項目についてまとめました。

(1)前田家3代目藩主・前田利常

(2)前田家存続の危機

前田家3代目藩主・前田利常

前田利常は、加賀百万石を築き上げた前田利家の四男として誕生しました。

母親は側室の千代(後の福寿院)。本来なら家督を継ぐ立場になかった利常。

しかし、長男で前田家2代藩主の利長には子供がいませんでした。

利長は、親子ほど年齢差がある弟の利常を養子とし、後に利常は12歳で3代目藩主を継ぐこととなります。

前田家存続の危機

徳川にとって加賀百万石の前田家は脅威の存在であり、家康が最も恐れていたと言います。

そんな時、前田家謀反の噂が。 当主であった利長は、急遽、重臣の横山長知(よこやまながちか)を弁明に走らせました。

この時徳川から出された和睦条件が、母親のまつを人質に出す。

更に2代将軍徳川秀忠の娘、珠姫と前田利常を結婚させることでした。

夫婦円満だった利常と珠姫

政略結婚で結婚した利常と珠姫でしたが、 夫婦仲はとても良く、三男五女の子宝にも恵まれます。

しかし、後に二人には悲しい別れが待っていました。

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