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青天を衝けキャスト紹介・彰義隊のリーダーを務めた渋沢成一郎について簡単にご紹介!

渋沢成一郎(喜作)は、天保9年(1838年)武蔵野国血洗島(現在の埼玉県深谷市)に誕生。

渋沢栄一と尾高敦忠とはいとこ同士。

前回のあらすじ⇨青天を衝けキャスト紹介・尾高塾を開いた「尾高敦忠」について簡単にご紹介!

成一郎は、栄一・敦忠と同じく尊王攘夷派であり、倒幕の意志を持っていました。

今回は、幼少期より栄一らと共に生きた、渋沢成一郎についてご紹介します。

激動の人生を送った渋沢成一郎

ここでは、下記の2項目についてまとめました。

(1)徳川慶喜の側近となる

(2)彰義隊(しょうぎたい)のリーダーになる

徳川慶喜の側近となる

尊王攘夷派として、渋沢栄一・尾高敦忠らと行動を共にしていた渋沢成一郎。

高崎城を乗っ取り、横浜焼き討ち計画を立てますが、尾高長七郎(尾高敦忠の弟)に説得され断念。

後に、栄一と同じく一橋慶喜(後の徳川慶喜)に従軍

慶喜が15代将軍に就任すると、側近として奥右筆(おくゆうひつ)を務めました。

※奥右筆とは、江戸幕府の役職のひとつで、若年寄の支配下にあった(ウキペディアより引用)

彰義隊(しょうぎたい)の頭取になる

※彰義隊とは、徳川慶喜を擁護する目的で結成。大義を彰(あきら)かにすると言う名目で付けられた。

その頭取を任されたのが、渋沢成一郎。副頭取には、天野八郎が選出。

慶応4年(1868年)〜明治2年(1869年)に行われた戊辰戦争に彰義隊として参加。

しかし、天野と決裂し脱退。新たに振武軍(しんぶぐん)を結成。

その後、彰義隊の残党と合流し新たな「彰義隊」となる。

更にその中で、渋沢派と反渋沢に分裂。成一郎は「小彰義隊」の頭取に就任。

実業家として活躍

戊辰戦争は新政府軍勝利で終結。投獄となった成一郎は、後に釈放されます。

そして、栄一の仲介で大蔵省に入社。 大蔵省退社後は、その才能を見込まれ小野組に入り手腕を発揮。

後に実業家として成功を収めた成一郎は、大正元年(1912年)75歳で逝去。

まさに激動の人生を駆け抜けた渋沢成一郎。

青天を衝けでは、高良健吾さんが演じています。

こちらもまた楽しみですね。

 

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