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(1)青天を衝けキャスト紹介・日本初の西洋砲術を取り入れた「高島秋帆」について解説!

2021年大河ドラマ「青天を衝け」がスタートしました。

初回から罪人として捕らえられていた高島秋帆(たかしましゅうはん)が登場。

秋帆は、日本初の西洋砲術を取り入れ、外国に対抗できる日本を造ろうとした人物です。

今回は、砲術家として知られる高島秋帆について、前半と後半に分けて紹介していきましょう。

西洋砲術を取り入れる

ここでは、下記の2項目についてまとめました。

(1)荻野流砲術の師範となる

(2)高島流砲術の完成

荻野流砲術の師範となる

高島秋帆は、寛政10年(1798年)長崎町年寄、高島四郎兵衛の三男として誕生。

四郎兵衛が、荻野流砲術の師範だったこともあり、秋帆もその教えを受け継ぎます。

1814年、秋帆は長崎町年寄見習となって、出島砲台を任されるようになりました。

※荻野流砲術とは、江戸前期の砲術家、荻野安重を流祖とする和流砲術の流派

高島流砲術の完成

出島砲台の責任者となった秋帆。

しかし、日本の大砲は軽砲に限られていたため、外国の武装艦には対抗できない現実を知ります。

西洋の砲術との格差に愕然とした秋帆は、自ら大砲や弾丸などを大量に輸入。

町年寄には、脇荷貿易(わきにぼうえき)と言う特権が与えられていました

※脇荷貿易とは、好きな品物を輸入できること。

そして1823年、オランダ人の出島商館長、スチューレルが来日

秋帆は、オランダ語を勉強し、スチューレルから西洋砲術を学んでいきます。

こうして、天保5年(1834年)、西洋の砲術を取り入れた高島流砲術が完成しました。

前半のまとめ

高島家は町年寄りとして、代々から続く名家。

その11代目となった秋帆は、西洋砲術の威力に感銘し、高島流砲術を確立しました。

後半では、秋帆がどのように高島流砲術を広めていったのかをご紹介します。

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