27歳の若さで老中首座となった阿部正弘。
そもそも、老中首座ってどのような役職なのでしょうか?
そこで今回は、若くして老中首座となった「阿部正弘」について、
前半と後半に分けて簡単に紹介していきましょう。
出世街道を走る
ここでは、下記の2項目についてまとめました。
(1)第7代福山藩主となる
(2)若くして出世
福山藩主となる
文政2年(1819年)、備後国(びんごのくに)福山藩(現在の広島県福山市)、第5代藩主阿部 正精(あべ まさきよ)の五男として、江戸西の丸屋敷にて誕生。
天保7年(1836年)、正弘は18歳で兄の阿部 正寧(あべ まさやす)から家督を継承し、第7代福山藩主となります。
正弘が福山藩に帰省したのは1837年の一度きり。 仕事が多忙な為、帰る時間が取れなかったようです。
若くして出世
20歳で幕府の奏者番(そうじゃばん)に就任。
※奏者番とは、江戸幕府および藩の役職の一つ。
城中における武家の礼式を管理する。
21歳で、寺社奉行(じしゃぶぎょう)見習い。
25歳で老中に任命される。
※老中とは、幕府の政治全般を取り仕切る最高の役職
27歳で、老中首座に着任。 ※老中首座とは、老中内での最高責任者
前半のまとめ
27歳の若さで老中首座となり、まさに幕府の最高責任者となった阿部正弘。
老中首座とは、現代で例えるなら「内閣総理大臣」に匹敵する地位だそうです。
次回後半では、正弘が行った政治について紹介していきます。