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(2)日米和親条約について簡単まとめ!不平等条約と言われた内容とは?

嘉永7年(1854年)、日本とアメリカは日米和親条約(神奈川条約)を締結しました。

前回のあらすじ⇨(1)日米和親条約について簡単まとめ!いつどのような理由で結ばれたの?

今回は、日米和親条約とはどのような内容だったのか簡単にご紹介します。

12か条で構成された日米和親条約

アメリカのペリー代将と江戸幕府の老中、阿部正弘・特命全権大使(とくめいぜんけんたいし)の

林 復斎(はやし ふくさい)との間で結ばれた日米和親条約。

ここでは、12か条の内容について簡単にまとめました。

 

1.日本とアメリカは、場所や人に関係なく永久に仲良くすること。

2.下田と函館を開港し、アメリカは燃料や物資の供給を受けることができる。

3.アメリカ船が嵐などで壊れてしまった場合、日本は乗組員の安全を確保し、アメリカに引き渡す。

その時にかかった費用は請求しない。(日本がそうなった場合も同じ)

4.アメリカ人の遭難者は、他の国と同様に自由であり、監禁されることはない。

5.下田・函館に居住するアメリカ人は、長崎に居住するオランダ人や中国人とは違い、行動を制限されない。

6.他に必要な物資や取り決めなどは、日米間で慎重に決めること。

7.下田・函館両港では、金銀で購買、もしくは物品同士の交換ができる。

8.アメリカが要求した物資は、日本の役人が斡旋すること。

9.日本はアメリカに、片務的最恵国待遇(へんむてきさいけいこくたいぐう)を与えること。

10.遭難や悪天候などの特別な場合を除き、アメリカ船は、下田・函館以外の港には入港できない。

11.日本・アメリカ両国が必要とした場合、条約調印の18ヶ月以降、下田に領事を置くことができる。

12.日本・アメリカ両国は、この条約を守る義務があり、18ヶ月以内に受け入れること。

 

なぜ不平等条約と言われたのか?

まず、不平等条約と言われるポイントとして、9条の片務的最恵国待遇が挙げられます。

片務的と言うのは、片方だけと言う意味で、日本だけがアメリカを最恵国待遇にしていました。

後に日本が他の国と条約を交わした際に、アメリカの条約よりも有利な条件だった場合は、

その条件がアメリカにも適用されると言うことです。

一方のアメリカは日本を最恵国待遇にしていませんから、対等とは言えません。

つまり、不平等な条約と言うことになります。

貿易は頑固として拒否した江戸幕府ですが、開国を認めアメリカとの国交が始まりました。

 

 

 

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