藤田東湖(ふじたとうこ)は、第9代水戸藩主の徳川斉昭の側近として仕えました。
尊王攘夷の先駆者とも言える藤田東湖。 西郷隆盛や吉田松陰などに影響を与えた人物とも言われています。
今回は、尊王攘夷に生きた藤田東湖について2回に分けて紹介していきましょう。
徳川斉昭の側近として仕える
ここでは、下記の2項目についてまとめました。
(1)彰考館の総裁を務める
(2)尊王攘夷を確立させる
彰考館(しょうこうかん)の総裁を務める
藤田東湖は、文化3年(1806年)、水戸学の中心メンバーであった藤田幽谷(ふじたゆうこく)の次男として水戸城の藤田屋敷に誕生。
幽谷が水戸学に従事していたこともあり、東湖も幼少の頃から学問に励み、剣術なども学んでいました。
文政10年(1827年)、幽谷が亡くなり兄も早世したことで、東湖が20歳で家督を継承します。
そして、24歳で彰考館の総裁に昇進。
※彰考館とは、水戸藩第2代藩主の徳川光圀(とくがわみつくに)が始めた、大日本史の編纂を行う機関。
父、幽谷と同じく水戸学のリーダーとなった東湖は、尊王攘夷思想を広めていきます。
蟄居処分となり幽閉される
徳川斉昭が第9代水戸藩主に就任すると、東湖は斉昭の側近として藩政改革に取り組み「弓道館」の設立などに携わっていきます。
斉昭自身も尊王攘夷に対して、強い意志を持っていました。
しかし、行き過ぎた行動により幕府から目をつけられ、弘化元年(1844年)、家督を14歳の嫡男に継承。
斉昭は謹慎処分を申し付けられます。また、斉昭の謹慎に伴い東湖も蟄居となり、江戸小石川藩邸の一室に幽閉となりました。
尊王攘夷の発端となった藤田東湖
徳川光圀が執筆を開始し、250年と言う年月をかけて完成した「大日本史」
藤田東湖も、水戸学の後期中心メンバーであった父、幽谷の元で尊王攘夷思想を学び、多くの藩士に影響を与えました。
後半へ続きます。