前回のあらすじ⇨(1)青天を衝けキャスト紹介・旗本から幕臣となった平岡円四郎についてご紹介!
安政の大獄により、甲府へと左遷された平岡円四郎。
文久2年(1862年)、慶喜が謹慎を解かれ、第14代将軍・徳川家茂の後見人として復帰。
円四郎も慶喜に伴い江戸に戻りました。 そして、一橋家の家臣として出世街道を歩むこととなります。
渋沢栄一との出会い
一橋慶喜の家臣・平岡円四郎と農民だった渋沢栄一。
ここでは、平岡円四郎と渋沢栄一の関係性についてまとめました。
渋沢栄一をスカウトする
渋沢栄一は当時、尊王攘夷派として、従兄弟の渋沢喜作らと同士を集め、横浜焼き討ちや高崎城乗っ取り計画を企てていました。
江戸でもその名は知られていたようです。 そして円四郎は、部下の川村恵十郎を介して栄一と喜作に対面。
恵十郎の役目は、道場や塾などで有能な人材を発掘し、家臣候補を探すことでした。
円四郎は臆せず物を言う栄一を気に入り、一橋家の家臣として京に来ないかと誘います。
しかし、栄一が「すぐには行けない」と断ると円四郎は、「なら自分の部下として後で来れば良い」と申し付けました。
平岡円四郎が暗殺される
その後、攘夷派が京都から一掃され、栄一も追われる立場となります。
行き場を無くした栄一は、円四郎を頼り、一橋慶喜に仕官することになりました。
こうして栄一も幕臣の道を辿るわけです。 円四郎も出世街道を歩み、一橋家の家老並に就任。
この頃、慶喜は孝明天皇より攘夷を命令されていますが、中々実行に移していませんでした。
これに腹を立てた尊王攘夷派の志士たち。
そして、その矛先が円四郎に向けられます。
そして、元治元年(1864年)、水戸藩士の江畑広光と林忠五郎に襲撃され43歳の若さで亡くなりました。
徳川慶喜から最も信頼された平岡円四郎
徳川慶喜からの信頼も厚く、渋沢栄一を見出した平岡円四郎。
栄一は円四郎のことを「一を聞いて十を知る能力があり、余りにも先回りばかりしすぎた」と評価したそうです。
青天を衝けでは、俳優の堤真二郎さんが演じている平岡円四郎。
徳川慶喜や渋沢栄一との絡みも含めて、とても見どころがありそうですね。