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(2) 青天を衝けキャスト紹介・江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜とはどのような人物?

前回のあらすじ⇨(1)青天を衝けキャスト紹介・江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜とはどのような人物?

10歳で、徳川御三卿・一橋家に養子に入った徳川慶喜。

頭の回転が良く、利発な子供だった慶喜は、第12代将軍・徳川家慶の寵愛を受け、次期将軍の有力候補として浮上します。

しかし、当の本人は将軍職に積極的ではありませんでした。

それでも、父徳川斉昭らは慶喜を将軍にしようと躍起になり、後に派閥闘争へと発展していくことになります。

将軍継承問題で分裂

第13代将軍・徳川家定は生まれつき病弱で、後継ぎに恵まれませんでした。

正室は、大河ドラマにもなった「天璋院・篤姫」

そこで、次の将軍継承問題が勃発し、幕府は2派に分裂していきます。

一橋派と南紀派

徳川慶喜を将軍に推す一橋派。父徳川斉昭や薩摩藩主・島津斉彬(しまずなりあきら)が中心。
徳川慶福(とくがわよしとみ)を推す南紀派。彦根藩主の井伊直弼(いいなおすけ)が中心となる。

後に、井伊直弼が大老(臨時に置かれた幕府の最高職)に就任。

その権力を利用し、紀伊徳川家の徳川慶福(徳川家茂)を第14代将軍の座につかせました。

井伊直弼の弾圧

井伊直弼が、天皇の許可なく日米修好通商条約を結んだことで、慶喜や徳川斉昭など一橋派の面々が江戸城に登城し抗議。

ところが、この日は徳川御三卿の登城日。

斉昭らは不時登城で謹慎となり、慶喜は罪状不明のまま謹慎処分を申し付けられます。

将軍職に消極的だった徳川慶喜

徳川慶喜本人は、将軍になることに興味がなく、「将軍に就いて失敗するよりは、始めからやらない方が良い」

と斉昭に手紙を送っていたそうです。

周囲からの期待が大きかった慶喜。この先、たくさんの重圧と戦いながら自らの人生を歩んでいくことになります。

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