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(3) 青天を衝けキャスト紹介・江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜とはどのような人物?

前回のあらすじ⇨(2) 青天を衝けキャスト紹介・江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜とはどのような人物?

大老・井伊直弼(いいなおすけ)が天皇の勅許(ちょっきょ)を得ずに日米修好通商条約を締結。

江戸城に登城し抗議した徳川慶喜は、安政6年(1859年)に謹慎処分を申し付けられました。

父・徳川斉昭ら一橋派は、井伊直弼が行った安政の大獄により弾圧され、斉昭は水戸に永久蟄居となります。

江戸幕府最後の将軍に就任

安政7年(1860年)、井伊直弼が桜田門外にて水戸藩士らに暗殺される事件が発生。

世に言う桜田門外の変です。 同年、徳川慶喜は謹慎を解除されます。

将軍後見職となる

文久2年(1862年)、第14代将軍・徳川家茂(いえもち)が若年だったことから、慶喜が将軍後見職に就任

230年振りに家茂が天皇に謁見することになり、慶喜も将軍を尊王攘夷派から守護するため共に上洛。

孝明天皇が攘夷祈願として、石清水八幡宮(現在の京都府八幡市)に参拝。

その際、節刀(せっとう)の儀式を行うにあたり、慶喜は家茂を急病にしてこれを欠席。

自らも仮病を使い参拝しませんでした。 ※節刀とは天皇が出征する将軍に刀を献上すること。

禁裏御守衛総督(きんりごしゅえいそうとく)に就任

節刀の儀式に参加しなかったことで、公家たちの反感を買った慶喜。

しかし、節刀の儀式に参加すれば、攘夷も避けられないと言う考えあってのこと。

幕府内で、攘夷思想を考える者はほとんどいない状態だったのです。

江戸に戻った慶喜は、孝明天皇から攘夷を執拗に迫られるも、あいまいな返答で実行しませんでした。

実際、攘夷が無理なことは賢い慶喜には分かっていたのでしょう。

元治元年(1864年)、慶喜は将軍後見職を辞任。

新たに禁裏御守衛総督に就任します。 ※ 禁裏御守衛総督とは、京都御所を警護する役職。

 

第15代・江戸幕府の将軍に就任

慶応2年(1866年)、第二次長州征伐の最中、徳川家茂が病死。

薩長同盟を結んだ薩摩藩が挙兵しなかったことで、幕府軍は連敗を期し、将軍死去を口実に休戦します。

そして同年8月、徳川本家の家督を相続した慶喜は、12月に第15代・江戸幕府将軍に就任しました。

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