前回のあらすじ⇨(3) 青天を衝けキャスト紹介・江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜とはどのような人物?
慶応2年(1866年)、第15代将軍に就任した徳川慶喜。
ところが翌年、孝明天皇が崩御し、第二皇子だった明治天皇が即位。
幕府にとって大きな発言力を持つ孝明天皇の死は、慶喜にとって大きな痛手となりました。
大政奉還を行う
薩摩と長州が手を組み、倒幕を狙っていることにいち早く気付いていた徳川慶喜。
そうはさせまいと、慶喜自ら先手を打ちます。
政権を朝廷に返還
同盟を結び、公家の岩倉具視(いわくらともみ)を味方に付けた薩摩と長州は、武力で幕府を倒そうと動いていました。
しかし、その怪しい動きを事前に悟った慶喜は、先手を打ち薩長に対抗します。
そして、慶応3年(1867年)政権を朝廷に返還。 世に言う大政奉還です。
奇しくもこの日は、薩長に対し倒幕の密勅が下された日でもありました。
こうして、薩長が幕府を討つ名目がなくなったのです。
王政復古の大号令を発足
政権を朝廷に返還した慶喜の狙いは、他にありました。
事実上政権は返還したものの、朝廷が政治を仕切るのは困難。
何せ、幕府が何百年も行なってきた政治を今さらできるはずがありません。 朝廷が幕府を頼るのは想定内。
つまり、形だけ政権を返納し、慶喜自ら政治を仕切るつもりだったのです。
当然、これに薩長は黙っていませんでした。
そして、慶応3年(1867年)、明治天皇より「王政復古の大号令」が発っせられます。
王政復古の大号令主な内容は?
戊辰戦争へと発展
王政復古の大号令により徳川慶喜は、内大臣辞任と幕府領半分の返還を求められます。
これに対し、慶喜も明治天皇に王政復古の大号令の撤回を要求。
諸藩の武士たちから「やりすぎでは?」と慶喜に同情する声も上がりました。
しかし、薩長はあらゆる手を使い、慶喜を引きずり下ろそうと策略。
こうして、後に戊辰戦争(ぼしんせんそう)へと発展することになります。