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(2)青天を衝けキャスト紹介・橋本左内・安政の大獄で処刑されたその生涯とは?

前回のあらすじ⇨(1)青天を衝けキャスト紹介・橋本左内・安政の大獄で処刑されたその生涯とは?

福井藩主の松平春嶽に仕え、一橋派として徳川慶喜を次期将軍にするため南紀派と対立。

後半は、幕末を生きた福井藩の志士、橋本左内について紹介します。

安政の大獄で処刑される

大老に就任した、南紀派の井伊直弼は、一橋派の面々を次々と弾圧していきました。

ここからは、次の項目についてまとめていきます。

松平春嶽の側近として仕える

後に江戸に出た左内は、西郷隆盛藤田東湖らと交友します。

やがて左内は、医者ではなく政治家としての野心を抱くようになっていきました。

そして、福井藩主の松平春嶽の側近となり、御書院番に抜擢されます

※御所院番とは、江戸時代に設けられた、軍事部門の職

安政2年(1855年)、松平春嶽が藩校の「明道館(めいどうかん)を設立。

左内も学監同様心得(教頭のような役職)として、教育を任される立場となりました。

井伊直弼による弾圧

安政5年(1858年)、大老となった井伊直弼が天皇の勅許なしに日米修好通商条約を締結。

そして、第14代将軍に南紀派の推す、徳川慶福(徳川家茂)が就任します。

この政策に反対する尊王攘夷派や、一橋派の多くが井伊直弼によって弾圧されていきました。

世に言う安政の大獄です。

 

才能にあふれた若き福井藩士

橋本左内は、一橋派の危険人物とみなされ幕府に捕まり、安政6年(1859年)に処刑されました。享年26歳。

西郷隆盛は、「先輩としては藤田東湖に服し、同輩としては橋本左内を推す」と発言しています。

才能にあふれた橋本左内の早すぎる死は、あまりにも悲しい最期でした。

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