比叡山延暦寺は、最澄が築いた天台宗の総本山です。しかし、元亀2年(1571年)、織田信長により焼き討ちされました。
寺社の中でも権力と財力を兼ね備えていた比叡山延暦寺。 そのトップの地位にいたのが、覚恕(かくじょ)です。
今回は、比叡山延暦寺と覚恕について簡単に紹介していきましょう。
寺社の中でも圧倒的な権力を持っていた!
ここでは、下記の2項目についてまとめました。
(1)天台宗の総本山・比叡山延暦寺
(2)比叡山延暦寺のトップは皇族出身
(1)天台宗の総本山・比叡山延暦寺
比叡山延暦寺は、最澄によって築かれた天台宗の総本山です。全国に多くの寺社を構え、お金と権力を持っていました。
僧兵の数も何万といたそうです。そして比叡山延暦寺と言えば、朝倉・浅井に味方して、織田信長と対立。
後に信長によって焼き討ちされた寺としても有名です。
(2)比叡山延暦寺のトップは正親町天皇の弟
大河ドラマ「麒麟がくる」では、延暦寺の天台座主(てんだいざす※天台宗のトップの住職)、覚恕(かくじょ)役で春風亭小朝さんが出演されていました。
両隣に女性、酒を飲みながらお遊び。僧侶にしては、あるまじき光景でした。まぁ、多少はドラマ用に着色されているかもしれませんね。
覚恕(かくじょ)は、大永元年(1522年)、後奈良天皇(ごならてんのう)の第三皇子として生誕。正親町天皇(おおぎまちてんのう)とは異母兄弟にあたります。
母親の身分が低かったので、4歳の時に出家して僧となり、元亀元年(1570年)、166世・天台座主の座につきました。
兄弟で対立!
比叡山延暦寺のトップとなりながら、僧らしからぬ振る舞いが多かった覚恕。敵対している織田信長と正親町天皇の関係は良好でした。
そのため、兄弟で対立することもあったようです。後に信長によって、焼き討ちされた比叡山延暦寺。しかし、当時不在だった覚恕は無事でした。
やはり悪運の強いお坊さんだったのでしょう。