聖徳太子はどのような政治を行ったの?気になる人物像を簡単にご紹介!

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聖徳太子と言えば、教科書には必ず出てくる歴史上の人物です。

馬小屋で誕生したことで別名、厩戸皇子(うまやどのみこ)とも呼ばれています。

そんな聖徳太子について、簡単にまとめてみました。

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聖徳太子の人物像&行った政治はこれ!

聖徳太子を知るために下記のポイントを押さえていきましょう。

日本を仏教国に導いたのは聖徳太子
日本初の女帝である推古天皇の摂政となった
天皇家中心の政治、中央集権国家を擁立

日本を仏教国に導く!

今から約1400年以上昔、当時の日本は蘇我氏と物部(もののべ)氏と言う豪族が仏教を巡り対立していたのです。
(※豪族:その土地に先祖代々住みついている財産や勢力を持つ一族)

仏教を支持する蘇我氏と、神々を祀る一族の物部氏。聖徳太子は元々蘇我氏の家系の一族でした。

そして、ついに両氏は戦いへ。聖徳太子は蘇我氏と共に物部氏を討ち、日本に仏教を広めていきます。

日本初の女帝である推古天皇の摂政となった

593年、聖徳太子が19歳の時、推古天皇が日本で初の女帝となります。

推古天皇は聖徳太子の叔母にあたる人物。しかし、代々天皇家は男性が務めてきました。

そこで聖徳太子が摂政となり、推古天皇と改革を進めていきます。
(※摂政(せっしょう):天皇を補佐する役目)

天皇家中心の政治、中央集権国家を擁立

当時の日本は、豪族が力を持っていた時代。そこで聖徳太子は天皇家が中心となり政治を行う、中央集権国家を目指します。

聖徳太子が主に行ったこと
603年:冠位十二階の制(朝廷に仕える者を、能力によって十二の位に分ける)
604年:十七条の憲法を成立(日本で初めて制定された憲法)
607年:小野妹子を遣隋使として隋(中国の王朝)に派遣。

日本の基盤を作った聖徳太子

推古天皇と協力し、多くの偉業を成し遂げた聖徳太子。

それ以外にも、日本初の木造建築、法隆寺の建立。10人の話を一度に聞けるなどの逸話も耳にします。

聖徳太子の政治が、日本を変えるきっかけになったのは間違いないでしょう。

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