592年、初の女帝となった推古天皇。摂政として推古天皇を支えていた厩戸の皇子、そして、蘇我馬子の三名体制で政治を行なっていました。
603年、推古天皇は、冠位十二階を制定します。今回は、冠位十二階の仕組みや、特徴などをまとめました。
身分に関係なく出世できる!
ここでは下記の2項目について説明します。
(1)力をつけた豪族が支配していた!
(2) 冠位十二階の仕組みとは?
(1)力をつけた豪族が支配していた!
当時は力のある豪族が、土地や人々を支配していました。そして親から子へと受け継がれ、能力がなくても地位と権力を持つことができたのです。
厩戸の皇子は、身分の低い者の中にも優秀な人材がいるのではと考えます。
そして、家柄などに関係なく、能力のある者が出世できるよう603年、冠位十二階を制定しました。
(2) 冠位十二階の仕組みとは?
冠位十二階とは、位に応じて冠の色を12色に分けることです。
この制度により、身分に関係なく、能力のある者が出世できるようになりました。
序列と色
大徳・濃紫、正徳・薄紫、大仁・濃青、小仁・薄青、大礼・濃赤、小礼・薄赤、大信・濃黄、小信・薄黄
大義・濃白、小義・薄白、大智・濃黒、小智・薄黒
諸外国に引けを取らぬ国づくり
遣隋使として派遣された小野妹子は、最初大礼 の位でした。
しかし、遣隋使のリーダーとして隋に渡り、その能力を認められ、一番最高位である大徳に出世しています。
このような序列制度は、当時の中国なども行なっており、日本も諸外国に負けないよう、整った国造りを目指したのです。