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信長公記の著者「太田牛一(おおたぎゅういち)」は織田信長に仕えた武将!

「信長公記(しんちょうこうき)」は、織田信長の生涯をまとめた一代記です。

この信長公記のおかげで、織田信長について学ぶ事が出来ると言っても過言ではありません。

ところで、著者の太田牛一(おおたぎゅういち)と言う人物をご存知でしょうか?

このような一代記を執筆する才能の持ち主なので、そう言う方面に精通した人物なのでは?

ところが、この太田牛一は、信長の家臣として働いていた武将なのです。

今回は、信長公記の著者「太田牛一」について簡単に紹介していきましょう。

 

織田信長に仕える武将として活躍

ここでは、下記の2項目についてまとめました。

(1)太田牛一とはどのような人物?

(2)信長公記は全15冊

(1)太田牛一とはどのような人物?

太田牛一は、大永7年(1527年)、尾張国春日井郡山田荘安食村(現在の愛知県名古屋市北区)に誕生。

土豪(その土地に住む豪族)の出身とも言われています(諸説あり)

若い頃は、出家していましたが、還俗(げんぞく※僧から俗人に戻ること)

その後、尾張の守護「斯波氏(しばし)」に仕え、後に柴田勝家の足軽となりました。

織田信長の美濃攻めでは、弓の腕前を褒められたと言う話もあり、武将としても優秀な人物だったようです。

しかし、牛一は戦で活躍すると言うよりは、書記や官僚などの方面で才能を発揮していました。

信長死後は、丹羽長秀や豊臣秀吉、豊臣秀頼の家臣となり、87歳で亡くなっています。

(2)信長公記は全15冊

信長公記は、織田信長が足利義昭を上洛させた永禄11年(1568年)から、本能寺の変が起きた天正10年(1582年)までの一代記。

全15冊で、首巻と言われる幼少期の1冊も存在しています。

牛一は、信長をとても尊敬しており、天下人となる織田信長を見越して、詳細な記録や日記をつけていました。

牛一は、84歳まで執筆していた形跡もあり、信長公記以外にも、豊臣秀吉の一代記「太閤さま軍記のうち」

「関ケ原合戦双紙」なども執筆しています。

織田信長を語るには「信長公記」が欠かせない

織田信長の軍記物としてはとても貴重な「信長公記」

太田牛一が、記録として残してくれたおかげで、歴史を知ることができますよね。

信長公記の現代語の翻訳版も出版されていますので、興味がある方は、是非読んでみて下さい。

 

 

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