三日天下と言う四字熟語を聞いたことはありませんか? 三日天下と言えば、明智光秀の名前が良く出てきますよね。
話の発端は光秀が起こした「本能寺の変」に関係してきます。
そこで今回は、明智光秀がなぜ三日天下と言われたのか、簡単に解説していきましょう。
本能寺の変から始まった!
ここでは、下記の2項目についてまとめました。
(1)天下の意味とは?
(2)明智光秀との関係性
(1)天下の意味とは?
そもそも天下の意味とは何なのでしょう。 時代によっては、様々な使われ方をされてきました。
例えば、天下は都の意味。戦国時代での天下は京都でした。
秀吉が書いた手紙には、天下と言う都を指す言葉が使われていたそうです。
世間一般的には「実権を握る」などの解釈が良く知られていますね。
(2)明智光秀との関係性
1582年(天正10年)、明智光秀が本能寺の変で織田信長を討ち、天下を治めました。
しかし、中国攻めで高松にいた羽柴秀吉(豊臣秀吉)が、急速な勢いで京都に引き返し、光秀と合戦。
その結果、秀吉が勝利。後に光秀は命を落としました。これが有名な山崎の戦いです。
僅かな間、短い期間だけの天下。それを三日に例えたことから、「三日天下」と言う言葉が使われるようになりました。
明智光秀の天下は三日ではなかった
実際のところ、明智光秀が織田信長を討ち、羽柴秀吉に敗北するまでの日数は13日。
三日と言うのは、言葉の例えとして使われたようです。この間に光秀は、多くの武将に味方になってくれるよう動きました。
しかし、光秀に協力する武将は少なく、最期は討ち取られてしまいます。
この時、光秀に味方する者が多くいたら、状況は変わっていたのでしょうか。そこが、また歴史の面白さですね。